2012年12月11日火曜日

【書評】世に棲む日日1~4(司馬遼太郎)

【評価:】(興味関心があれば読むことをおススメ)

本書は、激動の幕末長州藩で、先駆けとなった吉田松陰とその弟子の一人高杉晋作の「狂」の物語。

松蔭が天皇=国家、攘夷などの思想に純粋に殉じた思想家として人生を貫いたのに対して、晋作はあくまで革命を起こすエネルギーとして、戦略論の観点から攘夷という名のイデオロギーを利用した点(攘夷を盾に倒幕し西洋技術にキャッチアップするためにむしろ開国すべきという考えを持っていた)が印象的。

また、思想家と現実家、酒女はやらない堅実家と妻子を持ちつつも芸妓遊び・謡曲好きの遊び人といった対比できる面がある一方、お互い天に魅入られ、また失敗に落ち込むことなどなく次の一手を常に考えるという面が共通していることも面白い。

このほか、長州出身と言えば、松蔭の松下村塾出身というイメージを持つが、実際は久坂玄端、この高杉晋作のほかは前原一誠、品川弥次郎などが主な塾生で、桂小五郎、伊藤博文、山形有朋など明治政府樹立後まで生き残った主要な長州閥は、それほど深く師事、関わりがあったとは言えない一方で、何かと松蔭の名が「利用された」(例えば、戦前の学校教育において、国家思想の思想的装飾として松蔭の名が使われたが、松蔭の書物を読ませることは真に革命的であったゆえか無かった)点も興味深い。

【第1巻】

「百術不如一清」(ひゃくじゅついっせいにしかず)・・・行政上のテクニックなどは行政者の一清に如かない、というのが長い藩役人生活における文之進(吉田松陰の叔父)の座右の銘。民政機関には賄賂や供応がつきもので、とくに下部の腐敗がはなはだしかった。文之進はそれを激しく憎みはしたが、しかしこれらの患部を抉り取るおいう手荒なことはせず(いっさい下僚を叱ったり攻撃したりしたことがない)、みずから清廉を守り、かれらが自然とその貪婪(どんらん)のわるいことをさとるようにしむけた。

【第2巻】

「攘夷経済理論」・・・久坂玄瑞らが攘夷派が提唱した貿易亡国論とも言うべきもので、オランダとの貿易において日本は売る物産がないため先方の物産を買う一方で日本の金がどんどん流れていった経緯を踏まえ、開国するとまたたく間に日本の国内物産は欠乏し、金は流出し、物価はあがり、ついに貿易によって日本は滅亡する、と訴えた。また、将来、世界との貿易はやむをえないとし、そのためにまず得るべき物産を作り、その貿易を防衛するだけの武力を作ってから貿易すべきで、それまでは鎖国でゆくべき、というもの。この結論は経済の通念からいえば空論に過ぎないが、それを大声でと唱えなければ、攘夷論そのものの大根底がくずれるものであった。

【第3巻】

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂・・・吉田松陰の辞世のうた

三千世界の烏(からす)を殺し ぬしと朝寝がしてみたい
「広い世界にちょうし(長州)が無くば やがて世界は闇となる」・・・高杉晋作作の都々逸の歌詞

(下関戦争に際して圧倒的な武力を誇る連合艦隊との戦争を避けるための講和を選ばずに、攘夷を求める長州藩内の勢力におもねた点について)国際環境よりもむしろ国内環境のほうが、日本人統御によって必要であった。…これが政治的緊張期の日本人集団の自然律のようなものであるとすれば、今後もおこるだろう。

【第4巻】

「おもしろきこともなき世を面白く」(下の句なし)・・・高杉晋作が仰臥したまま苦しげに書いた28歳辞世の歌。上の句はできたが、下の句は続かない。歌人の野村何某がこのままでは尻切れトンボになるとおそれ、蛇足的に「すみなすものは心なりけり」(面白く棲暮らし行くのは心である)と説教くさく道教じみた下の句をつけた。しかし、晋作はこれで満足したらしく「・・・おもしろいのう」と言って目をつぶり、ほどなく息を引き取った。


0 件のコメント:

コメントを投稿